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「冬の思い出」(高速道路で雪合戦)

 2021年の冬は日本海側で豪雪になりそうです。北陸道で千台以上の車が身動きできないことになっています。福井育ちの私はかつて経験した豪雪のことを思いだしました。昭和38年の豪雪、記録的な38豪雪です。屋根に降り積もった雪は降ろさなければならないのですが道路や庭もすでに高く雪が積もっており、雪下ろしではなく、雪揚げです。屋根から道路に向かって雪を放り上げるのです。当然家の1階部分は道路の高さよりはるか下に埋まっていますから、2階の窓からの出入りになります。玄関への階段も作りはしましたが、部屋の中は外からの光が入りません。ちょうど中学3年の時でそんな穴倉の中で、綿入れのちゃんちゃん子を着て、足温器に足腰毛布を巻いて必死に受験勉強したことを思い出します。中学校の雪かきにも駆り出されました。次は昭和56年の豪雪、記録的な56豪雪です。大阪に住んでいた私は毎年盆暮れに子供を連れて福井に帰省することにしていました。この年も大晦日の朝に出発して北陸道を走っていましたが、途中敦賀より先が通行止めになったので高速道路を降りました。地道で帰ろうと思ったのですが、敦賀市内で大渋滞、夜になってしまいました。その時生後4か月の次男もいて、ミルクのお湯も切れ、困り果てましたが、渋滞停車中に近くの見ず知らずのお家に飛び込んでお湯を分けてもらいました。のろのろで峠に向かいましたが、スリップで谷に転落しそうになりやむなく引き返し、敦賀市内路上で一泊しました。翌朝敦賀インターが開通したという事で北陸道に乗り込んだのですが、すぐに閉鎖され行くも帰りもならず、封殺状態です。それでも子供は元気なもので、長男と長女は高速道路で雪合戦をして遊んでいました。お昼ごろになってようやくパトカーが助けに来てくれその先導で、圧雪と融雪ですごい凸凹になった高速道路をのろのろと福井まで行く事が出来ました。ガソリンの残量との戦いでもありました。エンジンを入れたり切ったり、福井インターを出たときには完全にゼロメーターでした。今のように簡単に携帯で連絡の取れない状況だったので、母は豪雪の中一晩たっても帰ってこないので、幼い子供たちを連れた私達を泣きながら待っていたそうです。(松岡寿夫)
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